こんにちは。修士1年の中神です。進学が危ぶまれた私ですが、無事進学することができました。最短2年最長10年、大学院という名の新たな修行の始まりです。というわけで、今回は初心に帰って「準備」について書こうと思います。
私はお稽古の準備には少し悲しい思い出があります。一昨年、お稽古の準備をしていたのが私だけだった時期がありました。他の部員は講義や実験、課題などで準備に参加できず、私1人で準備をしていました。1人ぼっちで準備をしているとき、私の次に和室にいらっしゃるのが先生であることがよくありました。先生は準備ができていない和室を一目見ると、すぐに準備を手伝ってくださりました。そのとき私は“自分たちが使うものを他人に準備させるのはいかなるものか。それも、教えてくださる先生に準備を手伝わせるのは、先生に対して失礼ではないのか。”と思いました。このことを他の部員に話したところ、なんとか時間を作って準備に参加してくださる部員が増え、ひとまず、先生がいらっしゃる前に準備を終えることができるようになりました。……と、少し昔話をしましたが、何が悲しかったかというと、“準備に参加したくないが故に準備に参加しない。けれども、自分がやりたいお稽古には参加する人”がいたことです。本人にはまだ何も言っていませんが、言われる前に気付いてほしいなぁと思うところです。
さて、準備に参加する利点を少しだけ書きますと、“他人よりも多くお道具を扱うことができる”ということがあります。1回のお稽古で、お道具に触れていられる時間は、ほとんどの部員がお点前1回分です。少し落ち着いて周りを見ればすぐにわかることですが、お道具に触れている時間は長いように見えて結構短いのです。その短い時間の中で上手なお点前をしようとお稽古をしているのですが、上手にお点前をするためには、正しくお道具を扱う必要があります。そして、お道具を正しく扱うためには、扱い方の練習をしなければなりません。その練習ができるときが、準備のときなのです。準備というのは、思う存分お道具に触れることできる時間(お稽古が始まるまでという時間的制約はありますが)なのです。この準備の時間を上手に使ってほしいなと思います。
準備をすることの利点をもう一つ挙げるならば、“その日、どのお稽古をするかを決めることができる”ということでしょうか。例えば、扱ってみたいお道具や教えてもらいたいお点前があるとき、そのお道具さえ準備しておけば、その日はそのお点前を教わることができます。これはある意味、準備に参加する人の特権なのかもしれません。そう考えると、準備もまったくのタダ働きではないと思います。とは言え、そこに何かしらの価値を見出せるかどうかは、その人次第といったところでしょう。
もっと踏み込んだ話をすると、準備を通して、また、お道具の扱い方を通して、“體の使い方を学ぶ”という話があるのですが、この話だけでブログがもう一つ書ける気がするので、また別の機会にしましょう。ともあれ、準備から一つでも多くのことを学び、自分のものにして頂けたらと思います。せっかくやるのだから、自分のものにしないともったいないと思うのは、私だけでしょうか。
中神(準備の参加者が増えますように)
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