2016年12月11日日曜日

伝統とは

はじめまして。4年生の中神です。何故か私に”伝統というテーマでブログを書いてほしい”という依頼がきたため、書いてみました。片手間にでも読んでいただければ幸いです。

さて、世の中には様々な伝統があります。長い歴史にの中で先人たちの知恵が詰まった伝統とはどのようなものなのか私なりに考えてみました。

そもそも伝統とは何なのでしょうか。改まって考えてみるとなかなか良い言葉が見つからないのですが、強いて言うなら「流れ」でしょうか。川の上流から受け取ったものを下流に渡し、その過程で流れる石が少しずつ形を変えるように、先代から受け継いだものを次の代に伝え、その中で少しずつ少しずつ姿を変える、これが伝統だと思うのです(先輩は「繋がり」と言っていましたが、この言葉はまだ私の言葉になっていないようです。)。

しかし、世の中いろいろな人がいますから、伝統という言葉の捉え方も人それぞれなようです。

ある人は「現代の人間に受け入れられない伝統が消えてなくなるのは至って普通のことだ」と言い、また、ある人は「伝統を廃れさせないために現代流にアレンジすることが必要だ」と言っていました。

一方で「最近の若い人は守破離の”守”のステップにも到達していない」という人もいます。

とある先生が「守破離の”破”や”離”は意識してそのステップに踏み込むのではなく、頭では一心に守ろうとしているのに体が勝手に破り離れてしまうのだ」とおっしゃっていました。なるほど、利休百首の「規矩作法守りつくして破るとも 離るるとても本を忘るな」の句はこういう意味なのかと感動したのを覚えています。

私は伝統を守るということは、先代から受け継いだものを、次の代に伝えるということと、受け継いだものをアレンジするのではなく、その意味の奥の奥まで考え抜くことではないかと思います。一見、意味のないようなちょっとした動作にも深い意味があるのです。そこに気付くこともなく、自身のあまり当てにならない直感を頼りにアレンジすることが伝統を守ることだと言われても首をかしげたくなってしまいます。

それにしても、私もまだまだ未熟ものですから、今までに何を学び、何を受け継いだのかと聞かれても上手く答えることはできません。けれども、言葉にすることはできなくても、先生方や先輩方の考えていたことを私なりに学び、受け継いできたつもりです。それが何だったのか言葉にできるようになるのは、師匠が要らなくなる頃なのかもしれません。そのような日が来るのはいったい何年先になるのでしょう。皆目見当もつきませんが、これからも精進していこうと思います。

最後に、いくら先人の知恵が凝縮された伝統と言えども、茶道のようにまだまだ元気な伝統がある一方で今にも消えてなくなってしまいそうな伝統があるのも事実です。我々は伝統を守るために何をするべきなのでしょうか。

中神(文章書くの苦手)

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